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嫌なものを見てしまった……
完全ネタバレ注意!
ダラボン監督は、所詮ショーシャンクとグリーンマイルしか知らない俺である。高名なショーシャンクはまあいいとして、グリーンマイルは感動作だという定評だがとんでもない。あんな不快指数の高い映画はない。ただし、映画として全く駄目かというとそうでもない。最低限映画には引きずり込まれる。その上で嫌な映像を見せられる。では、今回はどっちだ? いうまでもなく、グリーンマイル方面である。
簡単に言うと、霧と一緒に巨大昆虫風の化け物が襲ってきた町のスーパーに閉じ込められた人々の群像劇である。設定だけ聞くと、なんじゃこりゃ、って感じだ。まあ、スティーブン・キング原作だと言われれば納得。彼は不条理を合理的に説明するなんてことをしない。いきなり触手が「ドーン!」、異次元の扉が開いたんだ、大変だ! 軍が悪い! さあどうする? という内容であり、それ以上では決してない。
この映画、基礎部分はしっかり出来ている。CGに頼っただけのモンスター物でもないし、失笑するようなシーンもない。ちゃんとしたSFホラーサスペンスになっている。痛い描写も多いが観られないほど残酷でもないし(スターシップトゥルーパーズとエイリアンが観られる位なら大丈夫)、ドラマの組み立てもしっかりしていると思う。「この霧の謎はどうやって解明されるのか」ということさえ気にしなければ、ハラハラ出来る。しかし、嫌な死に方をする・人が狂う理由が、「異次元から来たモンスター」なので、いくら出来が良くてもどうしてもひっかかる。
そうなると、「衝撃の15分」と銘打たれたラストに期待するしかないのだが、個人的には、衝撃、と言うほどでもないような気がする。確かに、一見善人風の人々が迎えるバッドエンドは珍しいと言えば珍しいが、何というか、そこだけ狙いすぎの気がした。というか、薄々あのラストを予感させるものがあるので(息子の台詞で誰でも分かる)、ただただ「嫌なものを観てしまった」という感想しか残らなかった。現代アメリカ社会への批判があるようだが、正直、後味が悪すぎる。ただ、後味の悪さにも一定の品質と言うものがあって、駄作だとは思わなかった。
公開映画館が少なく、朝一とはいえ8人しか客が居なかった(しかもオッサンばっかりだった)のは、当初「あのショーシャンクの監督の最新作が不遇に扱われている」と思ったが、さもありなん。この内容では大々的にプロモーションしにくいだろう。取り留めなく感想を書いたが、やたらシラけがちな最近の映画で、鑑賞後に何がしかの感情を想起させると言う意味では中々のもの。おもわず、隣りのオッサンに感想を聞きたくなってしまった。余談だが、最後に、スター・ウォーズのエピソード3以来、久々に映画で拍手する人を見た。その場面とは、唯一スカッとするあのシーンである(観れば絶対分かる)。
追記(6/3):
制作費が1800万ドルと言うことを知った。日本円で18億円、日本映画なら大作クラスだが、アメリカ映画としては(この内容で)低予算ではないか。それがCGの質の悪さに繋がっているのか。ネットでも評価が割れていて(俺(パニック・サスペンス好き視点)とIE5(正統派エンターテイメント視点)でも全然違う)面白い。一般的に映画マニア受けしている気がする。
(KIURA)
評価点:65点(映画館鑑賞)
教師のバアさんが、火炎スプレーで虫を退治するのは唯一の笑いどころ。また霧と言えば、首都消失だが、あれも不条理な内容だった。誰か、この設定で誰もが納得できる科学的説明を付けて欲しい。そういうのが観たい俺の欲求は満たされることがない(アイアムアレジェンド然り)。
強くなりすぎたランボーは行くところが無くなった・・・
シルベスタ・スタローンは言わずと知れた大スター、このランボーシリーズとロッキーシリーズを代表作としながら「コブラ」「オーバー・ザ・トップ」など好きな作品も多い。とにかくスタローンの映画は当時子供だった俺にとっては分かりやすかった、善と悪がはっきりして、スタローンが肉体を誇示しながらピンチを切り抜け最後は勝利するというのが殆どだ、このパターンを数年後にシュワちゃんが踏襲し更に凄いボディでアクション映画に登場していく。スタローンとシュワルッツェネッガーという2大スターが映画業界に残した功績は大きかったが、あまりにも現実離れしたストーリー展開(ランボー3の見出しは1人対750,000人だった)に次第に観客の熱は冷めていき、それはやがて「ダイ・ハード」で活躍する等身大の強さを見せるブルース・ウィリスの登場で決定的に変わったと感じている。
それに気付いて上手くコメディー路線に変更できたシュワちゃんとは違ってスタローンは大苦戦、コメディは大失敗、シリアス路線も鳴かず飛ばずで結局事実上20年くらいは苦悩の時代が続いていた。もう表舞台に出て来ることは無いと思っていたが、去年に「ロッキー・ザ・ファイナル」で久々にスタローンここにあり!といった作品を見せてくれた。最後のロッキーの姿はまるで今のスタローンの人生を重ねるかのように重みがあった、この時に発表されたランボーの続編を聞いたファンは「いまのスタローンならやってくれるに違いない!」と期待したに違いない・・・そう、俺もその一人だった。
しかしその期待は裏切られた・・・いや完全に裏切られたとは言えない。映画の中には確かにランボーは生きているし、決して力を抜いた感じもしない。ある意味でスタローンが一番真摯に製作した映画なのかもしれない。だが観客が求めているランボーはこういったものではないだろう。2と3の方がまだ人間くささがあったのだが、今回は正義感はありつつもあまりにも完璧な戦闘マシーンになってしまっている。今回の相手が100人だからといえばそれまでだが、大したピンチにも陥らずに全滅する能力をもったランボーが最後に行くところは自分の家しかないのは皮肉なオチだった。
<GOOD POINT>
1.女や子供も関係なく腕や頭が吹っ飛ぶという残虐なシーンが目白押しだが、現実にこの世界で起きている事を映像にしたかったというスタローンの覚悟は評価したい。映像はいうなれば「プライベート・ライアン」の手持ちカメラ手法を踏襲していてリアルさは際だっている。やはりスタローンはVFXに極力頼らずに実際の火薬と炎を使用していたのは嬉しいところだった。
<BAD POINT>
1.上映時間は90分、まぁサックリ見れるという意見もあるかと思うが、個人的にはアッサリしすぎている。相手が今までより少ないから簡単に殲滅できたということなのか、スタローンが今までの映画的な盛り上がりをワザと避けているのか・・・おれは多分ワザとと思うのだが。おそらくスタローンは1作目を除く過去のランボー像と余程決別したがっているのだなと感じた。しかしここまで強すぎると面白くもなんともないのだ。ここはもう一段クライマックスを儲けても良かったのではと感じた、スタローンこそ「ここで終わりと見せておきながら、実はもう一段上にいく」という高め方を知っているだけに残念だ。
2.今回は初めて味方(しかも5人も!)がいるのだがやけに呆気なさ過ぎる、しかも中途半端に一人だけ難を逃れているし・・・。やたらと自信満々に乗り込む傭兵が実はヘボだったでは、この映画に真剣にとりくんだと思われるスタローンの意志に反しているだろう。この傭兵の使い方に最後まで不満が残る。
しかしランボーはこれで終わりなんだろうな〜。ロッキーが良い終わり方だっただけに悲しいものがある。やはりベトナム戦争時代の元上官トラウトマン大佐を演じたリチャード・クレンナが存命(2003年に逝去)なら確実に物語は変わっていたのだろうが・・・。
ランボー 最後の戦場 - goo 映画
近年、最大のヒット作に秘められたモノ
邦画の売上げランキングで言えば「踊る大捜査線 THE MOVIE2(約180億)」だ(ちなみにアニメを入れれば「千と千尋の神隠し」が300億円を超えてダントツ)。そういった意味ではランキング外の作品になるのだが、映画の印象としては近年では一番ヒットした感がある。なぜか?一つは勿論日本アカデミー賞を史上初で全部門獲得した事と、キネ旬を初めその年の賞を総なめにしたインパクトが強かったこと、それとこの映画が公開されたことによって始まった社交ダンスブーム、ウリナリを初めとするバラエティー番組でダンス大会に汗を流すタレント達も記憶に残っている。そして、ハリウッドがリチャード・ギア、ジェニファー・ロペスを起用してリメイク、しかも脚本を全くいじらずに製作しているのだから驚きである。そういった意味も含め、公開後も何かと話題に事欠かずにここまで引っ張ってきた映画は近年公開されたものではこの映画のみである。
ブームになることが全てとは思わないが、観客がいることの裏付けになっていることは間違いない。俺の記憶を辿れば近年、他の映画で社会的なブームが起きたのは「失楽園」と「バトル・ロワイヤル」くらいと思うのだが・・・まぁ期間的にはそれほど長くなかった様に思える。
公開当時に観てかなり面白かった印象があったが、10年以上の時を経て見直すと殆ど忘れてしまっていた。ハッキリ記憶に残っていたのはトイレで杉山(役所広司)と青木(竹中直人)が手を取り合ってダンスを練習しているシーンくらいのものだった。人間の記憶は本当に充てにならない。
<GOOD POINT>
1.この映画の魅力は社交ダンスという珍しい要素と家族と一軒家というサラリーマンの夢を叶えて燃え尽き症候群のサラリーマンという一般人に極めて身近な主人公が美人バレリーナと織りなすラブロマンス(導入部分だけだが)が見事な構成で組まれているのである。簡単に言えば脚本が良いのであるが、「駅前の社交ダンス教室の先にダンス界の最高峰であるイギリスのブラックプールが見えた」という周防監督の着眼点は流石と感じる。
2.改めてみるとクライマックスと思っていた社交ダンス大会は中盤の位置にあった、舞(草刈民代)が再び現役バレリーナに復活する事を決意し、日本を離れる最後のパーティーに杉山が行くのかどうかという事がクライマックスになっている、その事を観てもやはりこの映画は杉山と舞のラブストーリーと言って良いだろう。もう絶対に行くまいと決めた杉山、観客も「もうダメだ」と思わせた時に「杉山さん、SHALL WE ダンス?」の張り紙。この一連のリズムと演出の巧さは勉強になる。
3.杉山の妻・昌子(原日出子)って凄くいい女優と思うんだけど、殆ど映画に出ないので残念でならない。この映画でも本当に良い演技をしているんだけどなぁ・・・こういう癖の少ない正当派女優って最近は逆に少ない。
<BAD POINT>
1.今回初めて気付いたのだが、舞の回想シーンで舞がず〜っとナレーション説明している。さすがに改めて見ると冗長すぎてアラに見えてしまう。草刈民代は女優ではないので、劇中も極力セリフを省いている努力をしているだけに、こんなに回想シーンでじゃべらせるのはどうかと思った。実際に感情の機微が少ない棒読みに聞こえる。
Shall We ダンス?(1996) - goo 映画
若者の恋愛にしては重すぎやしないか?
少し前に紹介した予告編に惹かれて結局観てしまった。ちなみに俺は直球の恋愛映画には殆ど心を動かされた事が無い、なぜか?・・・人の恋愛が上手く行こうが行くまいがどうでも良いからである。どちらかというと、恋愛の背景にあるシチュエーションやらカセやらのアイデアに「なるほどこの絶対にくっつきそうも無い状況からどうくっつく?」とか「このまま行くと悲惨な結末しか待ってないがどうなるの?」という一種の謎解きみたいな感じで楽しむ。逆にそういった楽しみ方ができない映画は物語を追う意味では殆ど意欲をなくしてしまい、女優が綺麗とか艶っぽいとか思いながら「ここは脱ぐシーンだろ!日本の女優って相変わらず脱がないな」とか内容とは関係無いところで時間を費やしてしまう。
しかし愛という永遠で不変のテーマが無い映画も存在しない、言うまでもなくジャンルの中で恋愛映画はダントツの製作本数を誇り、大ヒットの条件でもある。スペクタクルとラブストーリーを備えた「タイタニック」は史上最高のヒットを記録した、この企画を立ち上げたキャメロンの考えはこうではなかったか?高額な予算が必要とするスペクタクル映画を撮りたい、しかし数百億の製作費を簡単には引き出せない・・・と、いうことで首脳陣を説得するための要素としてラブストーリーを織り交ぜた映画を提案したと考えたのではないだろうか?
さて「砂時計」であるが、かなりオーソドックスな作りの恋愛映画であるが、それが鳥取の田舎町を舞台に生きる若者像を上手く彩りしていて最後まで意識を切らさずに観ることができた。去年観たワースト映画「恋空」と比べれば、かなり丁寧な作りと言えるだろう。しかし最近の若者は考えが早熟というのかオッサン・オバサンくさいというか、やたらと結婚を意識したがるんやなと思った。中学や高校の恋愛に永遠なんてある訳ないやろ!と突っ込みたくなるが、実際に砂時計は漫画からドラマ化、映画化までこぎつけているのだから言うだけ野暮というものだろう。
<GOOD POINT>
1.学生時代(小学〜中学〜高校)と大人時代(杏=松下奈緒、大悟=井坂俊哉)で俳優が変わるのだが、学生時代の杏を演じた夏帆がやっぱり良い演技をしている。本人が意識しているか分からないのだが、小学〜中学〜高校と段々と大人びていく違いが分かるのだ。高校時代に大悟(池松壮亮)と別れるシーンで手で口を押さえて嗚咽をこらえる手から涙がこぼれていたのだが、ここはグッときた・・・本物の涙であることを信じている。
2.先にも書いたがロケーションが素晴らしい、山も海もとても綺麗で画になっている。おそらく風景に関して合成は無いと思われるので(もしかしたら家から見下ろす棚田は合成かも・・・それぐらいに素晴らしい景色)、まだこうした景色が日本に残っているんだなと感動した。路地裏や駅も風情があり、設定は90年代だが使いようによっては昭和初期でも行けそうなくらいに趣があった。
<BAD POINT>
1.見せ方がオーソドックスなだけに、物語にはもっと捻りが欲しいところ。冒頭の大人時代のシーンですでに杏と大悟が上手く行くことが説明されているのは果たしてどうなのか?もしこのシーンがなければ原作を知らない者としては点数が上がったのかもしれない。あと杏と大悟に絡む藤(塚田健太)と椎香(岡本杏理)の四角関係のもって行き方も想定内で盛り上がりに欠ける。岡本より夏帆の方が可愛いので、結果的に一人勝ちのような印象を受けるのはいかがなものか?
2.母親を最後に見送る玄関シーンと黒合羽を着た五人の男が玄関に立つシーンのフラッシュ(一瞬だけ写る過去シーン)と回想が多すぎる、フラッシュなんてドラマじゃあるまいしあまり使うものじゃ無いと思うが、回想と併せて10回近くも使っていたので「もうええって!」と突っ込みを入れたくなった。しかもここだけ少しオカルトっぽく作っているので全体的になんか浮いている印象を持った。もう充分に杏の傷が深いことは分かっているので、ここを削っただけでも125分の上映時間をかなり短縮できたと思われる。
3.これは決定的と思うが、映画で良いと思われるシーンの殆どが予告編で使われていた。宣伝担当に一言いいたい・・・いくら観客動員するためとはいえ、予告編につかって良いシーンと悪いシーンがあるだろう!セリフにしても同じ事。ある意味で宣伝マンは作り手の思いを汲み取ってやらなければいけないと思う。良いシーンだけを紹介するのは誰でもできる、しかし踏み越えてはならないラインというものがあるハズ・・・少し考えれば分かるはずである。
(IE5)
砂時計 - goo 映画
もう一度、予告編を・・・ここに映画の全てがあった
当時としては迫力のサスペンスだったと思われるが・・・
1960年代末から1970年代にかけて作られたアメリカン・ニュー・シネマの作品は俺の細胞に一番フィットする感覚がある。栄えある第1作目に位置づけられている1967年の「俺たちに明日はない」から一貫して言えるのは、社会からはみ出た人間を描いた映画であること。それまでの映画が観る者に夢を与える事を主体としつづけた為に、観客の中では「所詮、映画でしょ」みたいな空気が漂い観客動員も落ち続ける原因となった。そういった時代に充分なリアリティある物語とそこに生きる社会から適合しきれない人間達の葛藤を描くアメリカン・ニュー・シネマの誕生が衝撃を持って迎え入れられたことは当然だろう。
そんな中でアメリカン・ニュー・シネマ初期の作品である「ブリット」は、後のアクション刑事ドラマの基本となる映画の一つに挙げられている。主演の組織からはみ出た名物刑事ブリットを演じるのはスティーブ・マックイーン。刑事の定番、トレンチコートなど着ずに、スタイリッシュにジャケットを羽織る姿に憧れた観客は多かっただろう。また組織の命令に背いてでも犯人を追い掛けるという、今では当たり前になっている展開もこの映画が初めてと言われている。
組織に背を向けるやり手刑事、手に汗握るカーアクション、美女とのロマンス。現代の刑事映画に通じる基礎がここにある事は間違いないだろう。
<GOOD POINT>
1.カーチェイスは見応えがある。当時としてリアルなカーチェイスというものをやったとしても平面的な使い方しか無かったと思うが、この映画では波打つ路面や対向車をギリギリ避けるなどの手法を織り交ぜて頑張って撮影している。監督のピーター・ウェーツはプロのレーシング・ドライバーだったこともあり、これだけの臨場感が出せたのだろう。この臨場感こそ、後のカーアクションの基礎となっていく。
<BAD POINT>
1.全体的にアラが目立つ演出だ。替え玉を見破るトリックも説明的で良く分からないし、ブリットが刑事という職業に苦悩しているように見えないし(ラストだけでは無理でしょ)、空港で犯人を追い詰める方法も危険きわまりないし(結局最後に罪無き警備員が死んでしまった)、何より理解できないのは最初のホテル襲撃シーンでなぜトドメを指さなかったのかという事である。充分にその機会があっただけに不可解な行動で、そのあとの物語に最後まで感情移入ができなかった。
(IE5)
ブリット(1968) - goo 映画