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スリルと哲学に満ちた小説
~'08ホラーサスペンス特集(6)
敗戦間近のフィリピンの戦線で、肺病を患った下級兵卒・田村の厳しい逃走生活を描く。逃走と書いたが、ほとんど避けされない死と隣り合わせの状態で、田村は迷走する。極限の飢餓状態の中での異様な体験を経て、田村はどう変わっていくのか。言わずと知れた戦記文学の傑作だが、意外にも「読んで面白い」内容だ。しかも、極めて不謹慎だがホラー・サスペンスとしても読める。
美しい文章
読み始めてすぐに気がついた。圧倒的に読みやすいのである。頭の中はあっという間に21世紀の現代から、緑に覆われたフィリピンへ切り替わってしまった。描かれている情景は、過酷な前線兵士の敗走である。しかし、その一つひとつの文章が磨かれていて非常に美しい。失礼ながら、この特集でこれまで読んだ多数の文章と比べると、洗練の度が全く違うと感じた。
鋭い情景
敗戦の決まった前線での物語、主人公は肺病病みである。そこでの情景は、全く動物的・衝動的な悲劇そのものだ。ある村を訪れると、村人から叩き殺された日本兵の死体が転がっていて、しかも腐ってガスで膨らんでいる。これらの描写が克明に描かれるのであるが、作者は無闇に煽ったりしない。むしろあっさりと正確に描いている。しかし、これがジワジワ効いて来る。なまじ読み易いだけに、異常世界の日常化という兵士の心境に次第にシンクロしていく。これがかなり怖い。
深い哲学
作品中では二つの視点があると感じた。主人公・田村のフィリピンでのサバイバルを描く現実面の視点と、田村の内面の変化を作者の哲学を軸に描く視点だ。言うまでもなく、この二つの視点は互いに深く交錯している。山蛭の血を吸ったり、カニバリズムに走る「出来事」も恐怖だが、それ以上に内面の変化はかなりの圧迫感を持って読者に迫ってくる。次第に壊れていく田村の内面、その中で次第に深まっていく人間・田村の葛藤が圧巻だ。
読むべき時に読む
かつて小林多喜二の「蟹工船」を読んだ時も、同様の文章の確かさ、情景の恐ろしさ、人間の描写の鋭さを感じた。イデオロギーを排して、小説としても面白いのである。ただ、例えば中学生の課題図書として読まされたらどうだろう。多分「暗い鬱陶しい小説」だと思ったはずだ。こういった作品は進んで読むときに、本来持っている輝きを放つと思う。今回改めて読んでみて、取っ掛かりは何であれ、こんな面白い「一級のサバイバルサスペンス」を読まないのは勿体ないと思った。
評価点:85点 サバイバル戦記
作者のレイテ戦記や俘虜記もぜひ読んでみたい。不謹慎な批評になったかもしれないが、もちろん、戦争についても色々考えさせられる。もしも自分がそこにいたら……とりあえず21世紀の日本で本当によかった。
(KIURA)