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IE5がロード・オブ・ザ・リングを連続鑑賞してきたので、俺も感想を書いて見たい。ちなみに、全てスクリーンで見て、 スペシャル・エクステンデッド・エディション(1作目だけで30分以上の追加シーンあり)で3回ほど観た。原作は5回以上読み返している。頭の中で大体のストーリーが追えるという状態なので、映画だけのIE5とはかなり立場が違う。
IE5は映画の冗長性を指摘していたが、実は全く逆に感じた。とにかく「足らない」のである。3作あわせて9時間以上もあれば十分だと言えるかも知れないが、それでもお気に入りのシーンやキャラがいない。時間が足りていない。ただ、ピーター・ジャクソン監督の原作再現にかける情熱は本物だと原作ファンも分かっているので、感想は「良くやった」なのである。ただし、原作ファンはすでに心の中に自分だけの「指輪物語」(あえてロードオブザリングとは書かない)が出来上がっているので、あくまでイメージの追補作業なのだ。だから「テンポの悪さ」というのは純粋な映画としての感想だと思うが、それが欠点にはならない。
あえて言えば、原作はテンポの良さやサスペンスで読ませる物語ではない。むしろ、枝葉の部分にこそ真の価値があると言っても過言ではない。IE5が不要だと思った枝葉のシーン(多分、エルフの奥方のシーンや木の髭のエピソードなどかな)はあれでも涙を呑んでかなり削られているのが良く分かる。ピーター・ジャクソンだって本当はもっとやりたいのだ。原作では、本筋の物語に入る前に「パイプ草とは」といった、「煙草の説明」だけにかなりのページを割いているし、序盤のトム・ボンバディルという重要なキャラもはしょられている。特に1作目は顕著で、最初観た時は「削りすぎた!」と腹が立ったぐらいだ。
なぜなら、これは小説に姿を借りた世界の構築作業=架空の世界の住人として空想を膨らませる楽しみ、ということが第一で、その上に物語というものが成立しているのである。極端に言えば、物語が消滅しても世界が続いていく感じ、と言えようか。だから、普通は必要のない舞台の説明から始めているので、それが分かるまでは面白くないだろう。事実、自分も最初読んだ時はすぐに「これは駄目だ」と本を投げた。その後、きっかけがあって、2回、3回と読むうちに魅力に取り付かれていった。そんなことを強いる小説は多くないし、その苦労に応える内容というのもまた然りである。
端的に言えば、映画として成立させる為に削ったもので、原作の魅力が半減したと言える。もっと言えば、キャスティングひとつにしても、十人十色のイメージがあるし、日本語版は翻訳が良い(というかあまりに浸透している)ので、言葉尻一つとっても不満が出てくる(アラゴルンはやはり馳夫で、彼はストライダーでもさすらい人でもなく、野伏なのである)。映画の規模や映像表現、尺の問題ではなく、原作の縛りが強すぎて、映画化しても受け入れられない。極論すれば、映画化する意味がない。そういう意味で「映像化困難」なのである。こんな難しい作業はない。
なにやら擁護しているのか、批判しているのか分からなくなってきたが、少なくとも自分にとって映画版はやはり「良く出来た挿絵」に過ぎない。これはあくまで「指輪物語」の展開の仕方の一つ。同時にこの難しい作業を破綻せずにまとめたピータージャクソン監督の力量は、見せ方には賛否両論あるとしても、スピルバーグやルーカスと比べて特に劣っているとは思わない。むしろ素直に賞賛したい。
映画が絶対なら小説などなくなっているはずだし、逆もまた然り。両方楽しめた自分はかなり幸せだと、少なくともこの小説と映画に関してはそう思う。
評価点:85点。小説に関してのレビューはこちらもご参照を。読みにくいけど面白い小説、というのも存在すると言うことで。