忍者ブログ
乙事組(IE5/Kiura/Pine/MBU/Shinの5人)の共同メディア批評ブログ。ネタバレあり注意!
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

emiry.jpg悪魔の目的は?
悪魔が憑いたエミリー(ジェニファー・カーペンター)は、ムーア神父(トム・ウィルキンソン)による「悪魔祓い」が失敗し、その結果死亡したという。過失致死で裁かれる神父とそれを弁護する弁護士エリン(ローラ・リニー)は、悪魔の存在を立証し無罪を勝ち取れるのか。そもそも、悪魔は居るのか? エクソシストに連なる伝統的なアメリカン・オカルト映画ながら、実話を基にした法廷劇として展開する。しかし、俺は一言言いたい。悪魔の居る居ないはいいとしても、わざわざ6人(魔)もやってきて一体何がしたかったんだ!

実話が効いている
実話を元にした映画も多いが、その実話が荒唐無稽なほど、映画として面白みが増す。「法廷が悪魔を認めた」というのは格好の素材で、いわば公的に神と悪魔が居ることが証明されたということになる。その過程には、興味が湧く。完全無神論者の俺ではあるが、当然その点に興味が引かれたのは事実だし、途中までは面白くもある。だが、正直、後半どうでも良くなってしまった。

非キリスト教圏の悲しさ
俺自身、神や宗教は人が必要として人が作り出したものだとは思うが、その必要性や重要性は感じているし、それが居るという人を「非科学的だ」とも思わない。最終的に電気信号として知覚される人間の仕組み上、究極的にその人が居ると居れば、居るのである。だから、この映画の暗に言わんとせんことも分かるのだが、所詮は実感としての宗教がない哀しさ。どうしても、悪魔と天使といわれれば「ビックリマン」が頭にちらつくのである。

サタン無目的過ぎ
一人の少女に悪魔がつくというのは分かる。日本にも「憑く」というのは現象としてあるわけで、仕組みはどうあれ存在はするのだろう。しかし、そこに悪魔の偉いさん(サタン等)がわざわざ出張ってくる必要性がわからない。サタンに突っ込むのはどうかと思うが、そんなのは下っ端に任せておけばよいのでは。神が居るのか居ないのかよりも、どうして「こんな少女に?」という疑問ばかり気になった。「選ばれし者」という思想があるのだろうが、やはり異教徒の俺(一応仏教か?)には理解できないのだ。

理解できないなりに
映画としては法廷劇のやり取りなど、緊迫感もあるしそれ程退屈しない。ただ、神父の告白がやはりエクソシストを超えるものでもなく、映像的に予想通りであった。エミリーの豹変振りも怖いといえば怖いが、悪魔の嫌がらせも割りと穏やかでそんなに怖くはない。人を殺すのが悪魔の目的なら、戦争の方がよっぽど悪魔的だ。とはいえ、理解できない部分も多いが、投げ出すほどでもなく、その辺はやはり「実話」が効いている。実話であれば何でもいいというわけではないが、まずまず楽しめたと思う。ただ、オカルトか法的劇に余り興味がないなら、特にお薦めはしないが。
(KIURA)

評価点:60点
どうせ取り憑くなら大統領とかにすれば、悪の計画も円滑に進むと思うんだが。そうすれば世界はもっと悪く……いや、今の世界の状態を見ていると既に取り憑かれている人が多数なのかもわからん。

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
HN:
TEAM OKKOTO
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
最新コメント
[08/03 きうら]
[07/24 IE5]
[07/19 きうら]
[07/04 IE5]
[06/30 きうら]
忍者ブログ [PR]